広島県江田島に皆さんは 御大変なようです。
本州からの海底水道管の損傷で
何ヶ月も水道が使えないそうです。
因島へ海底水道が来ている話を知った時
simaは感心しました。
さすが,因島、と。
瀬戸内海の島のなかでは、江田島、因島、弓削
という地名は特別な羨望を持って語られます。
来る日も来る日も水道管から水が出ない。
simaの幼少は年がら年中これでした。
親は水が絶対必要な職業だったので、
その島が 本土から遠く産業も2島に比べて乏しく 海底水道が来ないことを
いつも残念がっていました。
江田島、因島は海運造船の中心地。海の文化の中心地で
大人も若者も 真剣に目指していた。
こどものsima は 夏 カッター漕いで、海で泳いで へろへろ潮まみれでも
青い でっかい ポリタンク持って
海上自衛隊さんが来てくれている給水所を 往復した。
冬丘の上で手旗ふって じゃれていても
時間には 小径を駆け下りて
海上自衛隊さんに 水を貰いに走った。
近所の人がみんな集まって来て 同じ給水車から並んで水を貰い
誰もがえっちらおっちら重い水運んで帰るから
賑やかではしゃいだ気持ちにもなったけど
大人の人達は 工夫も我慢も超人的だったと思う
阪神大震災のときも 水が無い事は地震そのものの上に更に悲愴さを加えた。
江田島の方達のご苦労が simaのなかに実感として沸き返ってきます。
悪夢で 海上自衛隊の給水船が着岸出来ないシーンを 見たりします。
simaは今でも雨のなか傘をささない時がある。
こどものころの雨のうれしさや 清々しさが simaに染み付いている。
目的地が家で ぬれても誰にも失礼にならない時は
はっきり言ってしまえば 傘はささない。
だけど洪水被害で2回引っ越しも経験している。。複雑。